わたしがジャニオタに出戻ろうと決意した経緯 その2
さて、
こちらの続きです。
森田くんの現場に衝動的に足を踏み入れてからしばらく悩みに悩んだわたし。
というのも森田くんとあとSnow Manの1人のメンバーとどちらに降りるべきか迷っていたからです。悩んだ。マジで悩みに悩んだ。
死ぬほど悩んだんだけれど、衝動的にでもお金払って会いに行こうって決断できたのは森田くんだったため、友人から「答え出てるんじゃない?」と言われたことがきっかけで森田くんに降りることとなりました。2014年の春のことです。
初めてのJr.担で勝手も何も分からなくて戸惑いの中で森田担生活をスタートさせました。
時間もお金の使い方も初体験のことだらけだったんですけど、それが楽しくて。
ジャニオタになって10年ですか?まあ、結構な年月だとは思うんですけどジャニオタ初心者かのような毎日が楽しくてしかたなかったんです。
今までにないアイドルとの距離感にズブズブ沼のようにハマっていったわたしは気付いたら年間3桁もの金額を彼に会うために使うようになっていきました。
今思うとすごかったなあ、わたしって感じなんですけど。
より近くで見たいとかより多く見たいっていう欲求がすごすぎて、それを満たすためにはお金を出すしかなかった。
でもそれは決して過ちとかじゃなくて、あの時のわたしはそれが正解だと思ってお金を出していたし、今振り返ってもアホだなって思うことはあってもやらなきゃよかったとは決して思っていません。
だってあの期間に経験したことはわたしに絶対必要なことだったと思うから。
森田くんの魅力ってやっぱりダンスだと思うんですよ。
あのスタイルが抜群な長い手足を生かしたキレッキレのダンスは誰でもなく森田くんだから作り出せるものだと思うし。
あんだけJr.でも一番のダンスを踊るくせして口開いたらポンコツだし。平仮名喋りだし。
見るたびに表情が変わる森田くんが心の底から応援したいって思って必死についていきました。
あんなに自分の人生をかけて応援しようと思っていた錦戸くんよりも気づけば森田くんの好きが上回っていきました。
自分でもびっくりしました。錦戸担をやめるときはジャニオタをやめる時だと思っていたから。でもこうやって人って担降りしていくんだろうなって思いました。
森田くんにのめり込むようにハマっていく中で、更にびっくりすることが置きました。錦戸担だった時とは全く真逆の感情を抱くようになったんです。
あれだけ錦戸くんのためだけの関ジャニ∞だと思っていたわたしが森田くんよりもTravis Japanのほうが好きになったのです。*1
森田くんを応援していく中で、彼の現場が舞台が中心だったこともあってお芝居やダンスを見る機会が非常に多かったんです。
初めは団扇を持つ機会もほとんどありませんでした。でも前の記事でも書いたようにダンスナンバーが好きだったように踊る彼らを見ることが好きだった影響もあって舞台が何よりも好きな現場になりました。
1ヶ月もの間自分の大好きなダンスを眺めていられるなんてなんて幸せなんだろうと。当時わたしが一番好きだった舞台はPLAY ZONEという舞台だったんですけど。*2
Travis Japanのダンスが死ぬほど好きでした。
まだまだ荒削りで伸びしろがあってずっと見たくなるような感じでした。だって毎年更に進化していくから。ずっとずっと見ていたいと思っていました。
でもそう思う中で彼らがデビューできないのは分かっていて。いや、口ではデビューするまで見届けるって言ってたんですけど彼らは所謂舞台班という位置づけで、それはつまりデビュー路線とはずれた位置にいるわけなんですけども。
でも例えデビューできなくたってTravis JapanがTravis Japanでいてくれたら問題なかったんです。
そんな中森田くんがTravis Japanとは別のJr.達とバンドを組んで活躍するようになります。彼はベースなんですけど。もちろんバンドだけじゃなくってアイドルらしいところもあったんですけど、そのメンバーがJr.の中でも所謂デビュー路線に乗っているような人気の子達ばっかりでした。
初めはすごくうれしかったんです。その子たちを応援している友達もたくさんいましたし、森田くんの絶対的なダンスという武器に加えて、ベースっていう誰もができるようなものじゃないものができたことは。
でも段々バンド活動が多くなっていって、嫌な予感がしたんです。ほら、わたしが関ジャニ∞のファンやめたきっかけの一つって一番好きだったダンスナンバーをバンドで披露したことがきっかけだったじゃないですか。
大好きな森田くんのダンスが見れる機会が減っていくにつれて、それに比例するようにバンド活動が増えていくにつれて。
ここで誤解してほしくないのは森田くんはダンスは自分にとって一番の武器であると自覚している上でベーシスト森田美勇人としても積極的に活動していっていたんです。
ジャニーズ自体アイドル事務所だからバンド形式で楽曲を披露できる人が少ないことからも分かるようにJr.の中でもなかなかいなかったんです。言葉は悪いですけど楽器班と呼ばれる楽器メインで活動していたジャニーズじゃなくて、バリバリマイク持ったり、Jr.のコンサートをやる時も思いっきりメインだったJr.がバンドできるなんていうのは大きい武器でしかなかった。
2016年には気付けば森田くんはTravis Japanとは別にバンドもできるグループとしてLove-tuneというグループに所属していました。そう、森田くんはグループの掛け持ちをするようになったのです。
ここまで書いたらお分かり頂けると思うのですがわたしのトラウマダブルパンチです。ついでに言うと森田くんのLove-tuneでのメンバーカラ―は黄色です。*3
これは運命なんだなって思いました。笑っちゃいました。あとこれは一部の人にしか共感してもらったことないんですけど森田くんって顔が山下智久さんにすごく似ているんです。森田くんの尊敬する先輩山下さんですし。
もう通ってきた道全てが重なってきっとわたしの人生はきっと最初から決まっていたんだな、と。
確変でもなんでもなくてなるべくして山下さんでジャニオタになり、錦戸担となり森田担へとなったのだと。
そして同じような人生を繰り返すのだと。
わたしのジャニオタ人生が揺らぎ始めたのはあるもう一つの事件があるのですがそれはまた後程お話させてください。
森田くんとTravis Japanのメンバーとして活動していた阿部顕嵐くんもLove-tuneへと加入する事になったのですが、彼はTravis Japanからの脱退を決断します。
森田くんは掛け持ちという道を選んだのですが、彼は信じられないほどの仕事量をこなすこととなりました。
夏は元々Jr.担にとって忙しい時期なんです。いくつもの現場が重なるからです。ということは出演する彼らも忙しくなるのです。と、いうことで森田くんはコンサートバックにグループとしてのコンサートに秋からの舞台の稽古に…というようにとにかく仕事に追われました。
夏の森田くんはとっても苦しそうでした。あまりに過酷だったのかな。笑いたいのに笑えてなかったんです。笑顔を作らなきゃって思っているのは分かったんですけど上手く笑顔が作れていなかったんです。
それに、リアクション芸人って言われるくらい彼はバラエティー向きなとってもいいリアクションをするのですがMCでは喋っていませんでした。元々喋れない子だったけど喋れるようになったんです。でもあの時はMCまで頑張る余裕がなかったんだと思います。
更に胸が苦しくなったことがありました。それはザ・少年倶楽部という番組のJr.にQ!というコーナーでのことです。その時の質問が「タイムマシンに乗るなら…」というものでした。すると彼は衝撃的な返答をしていたのです。「未来へ行って先の仕事の稽古を始めておく」と。
苦しくて苦しくて涙が出ました。当時誕生日の関係で20歳だった彼にどれだけのものを背負わすんだと。お願いだから倒れる前に休んでって思いました。
そしてここで思ったんです。森田くんもきっとどちらかから脱退するんだろうなって。そしてきっとLove-tuneを選ぶんだろうなって。だって彼はすごくデビューしたがっていたから。チャンスがあるのは圧倒的にLove-tuneだと思うんです。
わたしは悩みました。Travis Japanから森田くんが抜けたらどうすればいいんだろうって。プレゾンがなくなったTravis Japanにとって当時はどんな仕事がもらえるのかわからなかったんです。このまま干される可能性もあった。それに反して未来のあるLove-tune。
わたしは森田担だし、このままLove-tuneの森田美勇人になっても応援していくのがきっと正解だったんです。
でもわたしには無理だと思いました。Travis Japanが好きだったから。Travis Japanを応援したいって思ったから。もちろん阿部顕嵐くんが脱退したことでわたしが好きになった9人のTravis Japanは既に過去のものになったわけですが、それまでの彼らの努力を知っているからずっと応援してあげたいって思ったんです。
でもやっぱり森田くんが好きで彼の応援がしたくてずっとここまで来たのにって気持ちももちろんあって。
2つの気持ちで板挟みになって悩みました。悩んで悩んで悩みぬいてここが潮時なのかなって思ったんです。
それはさっきも言ったもう一つの事件が関係していて、次の記事にそれについては書きたいと思っているのですがわたしは長く続いたジャニオタ生活にピリオドを打つことにしました。
わたしは森田くんがコンサートバックにつくということで確保していたチケットを一枚だけ手に残して残りは手放しました。Love-tuneの森田くんの見納めだと覚悟して。
そして次にあったTravis Japanが出演する舞台も同じように一枚だけ用意しました。こちらはTravis Japanの森田くん、そして大好きだったTravis Japanの見納めのために。
ファンサも最高でファン想いで、努力家で素敵なものをいっぱい持っている森田くんのことが大好きでした。ずっと好きでした。
好きが減ったことなんてなかったんです。でも辞めどきはここだなって思いました。
こうして2003年だかなんだかから続いたわたしのジャニオタ生活は2016年を以て閉幕しました。
続きます。
*1:森田くんは当時、Travis Japanというグループに所属していました。
*2:プレゾンは2015年の公演を持って終了となりました。死ぬほど泣いた。
*3:皆さんご存知の通り錦戸くんのメンバーカラ―は黄色です。
わたしがジャニオタに出戻ろうと決意した経緯 その1
突然だが気持ちのモヤモヤとどうにかして整理したい気持ちが止まらないのでブログを始めようと思う。
まずはわたしのこれまでのジャニオタ人生から。
元々母親がジャニオタだったわたしは生まれて初めて覚えた歌がKinKi Kidsの硝子の少年でした。
母親曰くジャニーズ教育だったらしいのだがこの時点で母親はいわゆる茶の間オタクだったため、わたし自身もジャニーズはすき!テレビも見る!でも本当の意味でのジャニオタなのかと言われると、、、というような感じだったと思う。
そんな月日が立ったある日、バレーボールのサポーターとしてNEWSというグループを目にする。
とても綺麗な顔の子がました。その人の名前は山下智久。
山下さんの顔が美しいことは周知の事実だと思うのだけれど、わたしの好みのド真ん中だったんです。あんなに美しい顔見たことがなかった。この人好きだと思わずにはいられなかった。
そんな中、小学生ながらにわたしは山下担の道を歩み始めます。爆発したのは野ブタ。をプロデュース。この時に母親が山下さんにどハマりしたことがきっかけで熱量は増していく。やっぱり母親は偉大だったなあと今になって思う。
野ブタを経てわたしと母親、それに親友とその母親も山下さんに堕ちた結果、山下担4人の集いと変化した。
そんな感じで4人で山下さんのファンを全うし、山下さんとNEWSを応援していた中、1人だけわたしはある人に猛烈に心を奪わます。その人物とは錦戸亮さん。
今でも錦戸くんの何に惹かれたのかは分からないけれど要因の一つとしては俳優錦戸亮がとても素敵だったことなのかもしれない。*1
でもまあ、これは単なる後付けで本当になんで錦戸くんを好きになったのか分からなかった。悩みすぎて当時のわたしの日記を読み返すと、わたしは亮ちゃんが好きなんだろうか?とか錦戸担になってもいいんだろうかみたいな苦悩がとにかく羅列してある。
でも当時のわたしの脳内はもう錦戸くんでいっぱいであり、申し訳ないが山下さんに目が行くことは段々と減っていきました。
じゃあ、それが答えなんだろうとわたしは錦戸担として生きていくことを決意します。2006年のことです。
この決断をきっかけにこの先人生の半分以上をかけて錦戸亮という人間を追いかけていくこととなったのです。
細いことはすっとばして申し訳ないが錦戸くんのファンとして毎日楽しく過ごしていたある日、わたしたちに衝撃が走った。当時高校生だったわたしは錦戸担だと知るオタクの友達だけではなく、学校の友達や先輩からも鬼のように励ましメールがきたのを今でもよく覚えています。2011年10月7日のことでした。*2
嫌な予感は感じていたし、どこかでいつかこんな日が来ることはなんとなく分かっていたのだが、自分がだいすきなアイドルとそのアイドルに出会うきっかけとなった人がそのきっかけとなったグループから脱退するというのがどうしても受けいられなかった。
本当に悲しくて悔しくて涙が止まらなかった。これについて語り始めると収まらなくなるので簡単に記すが、錦戸くんが関ジャニ∞のほうが楽しそうだからとか*3そういうわけではないのは分かっていたし、わたしは関ジャニ∞も大好きだったからこそどうしても気持ちの整理がつかなかった。
もっといえば正直な話関ジャニ∞の錦戸亮のほうが好きだと思うことも多くあった。でもわたしはNEWSから錦戸亮のファンになったから。
この先彼がアイドルとして活動していく中で掛け持ちなんてできないと分かっていたのにも関わらず、自分のルーツであった彼が消えたことがショックでたまらなかった。
ここまで読んでいただけたらわかるかもしれないが、わたしはNEWS寄りの錦戸担だったんです。
圧倒的に関ジャニ∞の錦戸亮が好きな人が多いのは分かっていたけれど、わたしの原点であるNEWSに比重を置いていた。NEWSが錦戸くんに出会わせてくれたから。
この頃からわたしの錦戸くんへの想いは随分と歪んだものへと変化していく。
それはきっとこのわたしの中のNEWS>関ジャニ∞という感情が引き起こしただろう。
今までグループに向けられていた愛情までもが錦戸くんただ1人へと向けられていったわけです。
たぶんこの頃から亮ちゃんって呼んでいたのが段々と呼べなくなって、錦戸くんと呼ぶようになった気がする。
独占欲は強くなる一方で、同担という存在がどうしても目障りになってしまった。
わたしだけの錦戸くんになってほしかった。
わたしは錦戸亮だけが好きで、錦戸亮という人間に全てを捧げているんだから、錦戸くんもわたしを大事にしてほしいと思ってしまった。今思えばとんでもないエゴの塊だと思う。錦戸くんは知ったこっちゃねーよって。何度思い返しても気持ち悪いオタクである。我ながらドン引きしているんですけど。
でもそれはきっとグループにしがみついていたからこそ脱退という深くて消えない傷を付けられたトラウマがあったからこそ、タレントそのものにすがりつくようにしがみつくしかなかったのだと思う。
これも錦戸くんが事務所を辞めたらそれ以上の傷を負う結果になるのだが、錦戸くんが辞めるのはないと思っていた*4ため理にかなった解決方法だったはずです。
盲目的に錦戸くんが好きな自分は素敵だと思っていたし、自然と周りにもそういう友達が増えていったのでジャニオタとはそういうもんだと思うようになりました。
それどころか他のメンバーに対して好きのベクトルがある人が本当に許せなかったし、理解できなかった。貴方は彼が好きなんでしょ?って。だったら他の人は視界に入れる必要はないよね?って。
それがヒートアップした結果、わたしの中で関ジャニ∞というグループは錦戸亮という人間を引き立てる愉快な仲間たちへと変わりました。
今思うと本当にクソみたいな考えで、自分で自分が許せない。でも当時は本気でそうなんだと思っていました。
関ジャニ∞の音楽にはそれほど興味はなかったというかどうでもよかった。だって錦戸くんが歌ってるって事実が必要なのであって、その曲がなんだとかどうであるとか関係ないわけで。
変な話コンサートに行って、錦戸くんが一切歌わず踊らず、関ジャニ∞の音楽が完成しなくてもわたしの目の前に錦戸くんがいてくれれば問題なかった。いや、実際これやられたらは?ってなると思うけど。でもそれくらいの気持ちだったと思う。
ジャニーズの中ではダントツ関ジャニ∞が好きで、彼らの姿を見るのは好きだったんだけどなんで好きなのかって言われるとたぶん錦戸くんがいたのが一番大きくて。それだけなんですよね。
とおもってたんですけどコンサートのセトリにだけはうるさくて(笑)
一丁前にダンスナンバーがすきだから段々とバンドが増えていくのが許せなくて、何がいいの?って。錦戸担のくせして錦戸くんがやりたいものなんてなんにも考えてなくて、錦戸くんだけがいれば後はなんでもいいとかほざいているくせに、文句だけは立派で。どの口が言ってんねんって話なんですけど。
ハッキリ言いますけどあの頃は本当にLIFE~目の前の向こうへ~が苦手でした。
めっちゃいい曲なんです。いい曲なんですけど飽きちゃったんです。またやるの?もう分かったよ!バンドはいいから!ね!って。
セトリもシングル曲だらけでくっそつまんねえって思ってました。マジで口だけは達者だった(笑)
仕分けもほんっっっとにおもしろくないし、この人たち何がやりたいの?そんな風に思ってました。
もう口からはエイトのいいところより悪いところの方がたぶん多く出てたと思う。
矛盾だらけで申し訳ない。支離滅裂なのも分かってるんですけどあの頃は本当に感情がぐっちゃぐちゃだったんです。
だからふと我に返ったある日、そんな自分がしんどくなりました。いえ、正確にいるとずっとしんどかったんです。気持ち悪いですけどお風呂入ると泣けてきて。マジで毎日泣いた。1リットルの涙どころじゃなかった。
錦戸くんが好きすぎてつらくて、報われないのがつらくて、関ジャニ∞というグループのやることが受け入れられないのがつらくて。錦戸くんのこと好きにならなきゃよかったのにって思いました。そしたらこんな悩みも抱えることなかったのに。ふとわたしきっとeighter向いてないんだろうなって思うようになりました。
やっぱり2006年に錦戸くんに降りてからずーーーっと関ジャニ∞に好きだったんです。
エイトが大好きな錦戸くんが本当に好きだったし、彼らのやることって本当におもしろいじゃないですか。他にできないことができるのは自慢だったんです。うちのグループすごいでしょ!ジャニーズなんですよ!って。
でもNEWS脱退したり、エイトの方向性についていけなくなって好きより苦しいのほうが上回った時に、これ以上嫌いになる前に離れたいなって思うようになりました。
そんな時にプチ事件がおきます。それは2013年のKANJANI∞ LIVE TOUR JUKE BOXのことです。
突然ですがここでわたしが数ある関ジャニ∞の楽曲の中でも一番好きな曲を発表します。それはブリュレです。
ブリュレってすごくないですか?あんなにかっこいい音楽は田中秀典さんにしか作れないと思います。田中さんの曲歌ってる錦戸くんって本当に世界一かっこいいと思うんですけどどうでしょうか?
って話がずれましたね。ブリュレの好きな大きな理由の一つとしてあのダンスなんです。めっちゃ好き。ほんとに好き。
なのにあろうことかバンドにしちゃったんです。バンド嫌いなわたしが一番好きな曲をバンドにしちゃったもんなんだから心は大荒れでした。
はあ???って(笑)いや、ほんとに。
今見たらこんなブリュレもいいじゃん!って思うんですけど当時は怒り狂いました。もう烈火のごとく怒りました。何してくれてんの?エイトが踊らなくなるから不満は募っていくのにダンスナンバーつぶしちゃってんの?みたいな。
ここで本格的にもう降りてやるって思いました。もう記憶も薄れてきてるので細かい理由もあったとは思うんですけど、そう思ったのは覚えています。
それに加えてバリバリの同担拒否のガチ恋錦戸担だったわたしは、週刊誌常連だった彼の週刊誌ネタにも一々酷くやられていて。ちなみに恋愛ドラマも見れなくて未だに見ていないドラマとかあるんですけど。アイドルだし、わたしだけの錦戸くんのなのに誰かのものになっているようなそんな姿見たくないって思って。
降りていく方向で進みながらもまだ悩みでモヤモヤしてたちょうどその時に週刊誌に撮られた錦戸くん見て「よし、降りよう」ってなったんです。
でも生涯錦戸担だと思っていたし、視界に入れるのは錦戸亮のみという生活を送ってきたわたしに降り先という選択肢がなくて(笑)
とりあえず昔好きだったキスマイ見ようって思ってDVDを購入したんです。
そしたらバックについてたJr.がほんっとにかっこよくて!Snow Manってグループだったんですけど。ほら、ダンス厨なところあるから。ダンスもアクロバットも感動して。そこから彼らを中心にJr.調べるようになったわけです。
そしたらめっちゃ好みな顔ですっごく素敵なダンス踊る子がいて。あれは間違いなく一目惚れだった。もうその子しか頭に残らなくて。森田美勇人くんっていう男の子でした。
会いに行くかすごく迷っていたんですけど森田くんの現場があるのに行かないの?って友達に言われて。行くしかねえなってなったんですよね。
初めて森田くんの現場にお金出したのは入る当日。衝動的にポーンと決して安くはない金額を出した瞬間でした。
今思うと未来の自担候補とはいえ、降りるかも決めてないのによくあんな金額出せたなっていうか!すげえなお前!そう思う。
ここまで書いてまだ書きたい年月の半分くらいしかないことに驚いた。
やたら長いけどのんびり書いていきます。
読み返したら文章めちゃくちゃなのでその都度編集していきます。
続きます。