Why are you so mean to me?

ヲタ卒を経てジャニヲタに出戻りしたあるオタクによるなぐり書きの記録簿。

わたしがジャニオタに出戻ろうと決意した経緯 その1

突然だが気持ちのモヤモヤとどうにかして整理したい気持ちが止まらないのでブログを始めようと思う。

 

まずはわたしのこれまでのジャニオタ人生から。

元々母親がジャニオタだったわたしは生まれて初めて覚えた歌がKinKi Kidsの硝子の少年でした。

母親曰くジャニーズ教育だったらしいのだがこの時点で母親はいわゆる茶の間オタクだったため、わたし自身もジャニーズはすき!テレビも見る!でも本当の意味でのジャニオタなのかと言われると、、、というような感じだったと思う。

 

そんな月日が立ったある日、バレーボールのサポーターとしてNEWSというグループを目にする。

とても綺麗な顔の子がました。その人の名前は山下智久

山下さんの顔が美しいことは周知の事実だと思うのだけれど、わたしの好みのド真ん中だったんです。あんなに美しい顔見たことがなかった。この人好きだと思わずにはいられなかった。

そんな中、小学生ながらにわたしは山下担の道を歩み始めます。爆発したのは野ブタ。をプロデュース。この時に母親が山下さんにどハマりしたことがきっかけで熱量は増していく。やっぱり母親は偉大だったなあと今になって思う。

 

野ブタを経てわたしと母親、それに親友とその母親も山下さんに堕ちた結果、山下担4人の集いと変化した。

そんな感じで4人で山下さんのファンを全うし、山下さんとNEWSを応援していた中、1人だけわたしはある人に猛烈に心を奪わます。その人物とは錦戸亮さん。

 

今でも錦戸くんの何に惹かれたのかは分からないけれど要因の一つとしては俳優錦戸亮がとても素敵だったことなのかもしれない。*1

でもまあ、これは単なる後付けで本当になんで錦戸くんを好きになったのか分からなかった。悩みすぎて当時のわたしの日記を読み返すと、わたしは亮ちゃんが好きなんだろうか?とか錦戸担になってもいいんだろうかみたいな苦悩がとにかく羅列してある。

 

でも当時のわたしの脳内はもう錦戸くんでいっぱいであり、申し訳ないが山下さんに目が行くことは段々と減っていきました。

じゃあ、それが答えなんだろうとわたしは錦戸担として生きていくことを決意します。2006年のことです。

この決断をきっかけにこの先人生の半分以上をかけて錦戸亮という人間を追いかけていくこととなったのです。

 

細いことはすっとばして申し訳ないが錦戸くんのファンとして毎日楽しく過ごしていたある日、わたしたちに衝撃が走った。当時高校生だったわたしは錦戸担だと知るオタクの友達だけではなく、学校の友達や先輩からも鬼のように励ましメールがきたのを今でもよく覚えています。2011年10月7日のことでした。*2

 

嫌な予感は感じていたし、どこかでいつかこんな日が来ることはなんとなく分かっていたのだが、自分がだいすきなアイドルとそのアイドルに出会うきっかけとなった人がそのきっかけとなったグループから脱退するというのがどうしても受けいられなかった。

本当に悲しくて悔しくて涙が止まらなかった。これについて語り始めると収まらなくなるので簡単に記すが、錦戸くんが関ジャニ∞のほうが楽しそうだからとか*3そういうわけではないのは分かっていたし、わたしは関ジャニ∞も大好きだったからこそどうしても気持ちの整理がつかなかった。

もっといえば正直な話関ジャニ∞錦戸亮のほうが好きだと思うことも多くあった。でもわたしはNEWSから錦戸亮のファンになったから。

この先彼がアイドルとして活動していく中で掛け持ちなんてできないと分かっていたのにも関わらず、自分のルーツであった彼が消えたことがショックでたまらなかった。

 

ここまで読んでいただけたらわかるかもしれないが、わたしはNEWS寄りの錦戸担だったんです。

圧倒的に関ジャニ∞錦戸亮が好きな人が多いのは分かっていたけれど、わたしの原点であるNEWSに比重を置いていた。NEWSが錦戸くんに出会わせてくれたから。

 

この頃からわたしの錦戸くんへの想いは随分と歪んだものへと変化していく。

それはきっとこのわたしの中のNEWS>関ジャニ∞という感情が引き起こしただろう。

 

今までグループに向けられていた愛情までもが錦戸くんただ1人へと向けられていったわけです。

たぶんこの頃から亮ちゃんって呼んでいたのが段々と呼べなくなって、錦戸くんと呼ぶようになった気がする。

 

独占欲は強くなる一方で、同担という存在がどうしても目障りになってしまった。

わたしだけの錦戸くんになってほしかった。

わたしは錦戸亮だけが好きで、錦戸亮という人間に全てを捧げているんだから、錦戸くんもわたしを大事にしてほしいと思ってしまった。今思えばとんでもないエゴの塊だと思う。錦戸くんは知ったこっちゃねーよって。何度思い返しても気持ち悪いオタクである。我ながらドン引きしているんですけど。

 

でもそれはきっとグループにしがみついていたからこそ脱退という深くて消えない傷を付けられたトラウマがあったからこそ、タレントそのものにすがりつくようにしがみつくしかなかったのだと思う。

これも錦戸くんが事務所を辞めたらそれ以上の傷を負う結果になるのだが、錦戸くんが辞めるのはないと思っていた*4ため理にかなった解決方法だったはずです。

 

盲目的に錦戸くんが好きな自分は素敵だと思っていたし、自然と周りにもそういう友達が増えていったのでジャニオタとはそういうもんだと思うようになりました。

それどころか他のメンバーに対して好きのベクトルがある人が本当に許せなかったし、理解できなかった。貴方は彼が好きなんでしょ?って。だったら他の人は視界に入れる必要はないよね?って。

それがヒートアップした結果、わたしの中で関ジャニ∞というグループは錦戸亮という人間を引き立てる愉快な仲間たちへと変わりました。

今思うと本当にクソみたいな考えで、自分で自分が許せない。でも当時は本気でそうなんだと思っていました。

 

関ジャニ∞の音楽にはそれほど興味はなかったというかどうでもよかった。だって錦戸くんが歌ってるって事実が必要なのであって、その曲がなんだとかどうであるとか関係ないわけで。

変な話コンサートに行って、錦戸くんが一切歌わず踊らず、関ジャニ∞の音楽が完成しなくてもわたしの目の前に錦戸くんがいてくれれば問題なかった。いや、実際これやられたらは?ってなると思うけど。でもそれくらいの気持ちだったと思う。

ジャニーズの中ではダントツ関ジャニ∞が好きで、彼らの姿を見るのは好きだったんだけどなんで好きなのかって言われるとたぶん錦戸くんがいたのが一番大きくて。それだけなんですよね。

 

とおもってたんですけどコンサートのセトリにだけはうるさくて(笑)

一丁前にダンスナンバーがすきだから段々とバンドが増えていくのが許せなくて、何がいいの?って。錦戸担のくせして錦戸くんがやりたいものなんてなんにも考えてなくて、錦戸くんだけがいれば後はなんでもいいとかほざいているくせに、文句だけは立派で。どの口が言ってんねんって話なんですけど。

 

ハッキリ言いますけどあの頃は本当にLIFE~目の前の向こうへ~が苦手でした。

めっちゃいい曲なんです。いい曲なんですけど飽きちゃったんです。またやるの?もう分かったよ!バンドはいいから!ね!って。

セトリもシングル曲だらけでくっそつまんねえって思ってました。マジで口だけは達者だった(笑)

仕分けもほんっっっとにおもしろくないし、この人たち何がやりたいの?そんな風に思ってました。

もう口からはエイトのいいところより悪いところの方がたぶん多く出てたと思う。

 

矛盾だらけで申し訳ない。支離滅裂なのも分かってるんですけどあの頃は本当に感情がぐっちゃぐちゃだったんです。

だからふと我に返ったある日、そんな自分がしんどくなりました。いえ、正確にいるとずっとしんどかったんです。気持ち悪いですけどお風呂入ると泣けてきて。マジで毎日泣いた。1リットルの涙どころじゃなかった。

錦戸くんが好きすぎてつらくて、報われないのがつらくて、関ジャニ∞というグループのやることが受け入れられないのがつらくて。錦戸くんのこと好きにならなきゃよかったのにって思いました。そしたらこんな悩みも抱えることなかったのに。ふとわたしきっとeighter向いてないんだろうなって思うようになりました。

 

やっぱり2006年に錦戸くんに降りてからずーーーっと関ジャニ∞に好きだったんです。

エイトが大好きな錦戸くんが本当に好きだったし、彼らのやることって本当におもしろいじゃないですか。他にできないことができるのは自慢だったんです。うちのグループすごいでしょ!ジャニーズなんですよ!って。

でもNEWS脱退したり、エイトの方向性についていけなくなって好きより苦しいのほうが上回った時に、これ以上嫌いになる前に離れたいなって思うようになりました。

 

そんな時にプチ事件がおきます。それは2013年のKANJANI∞ LIVE TOUR JUKE BOXのことです。

突然ですがここでわたしが数ある関ジャニ∞の楽曲の中でも一番好きな曲を発表します。それはブリュレです。

ブリュレってすごくないですか?あんなにかっこいい音楽は田中秀典さんにしか作れないと思います。田中さんの曲歌ってる錦戸くんって本当に世界一かっこいいと思うんですけどどうでしょうか?

って話がずれましたね。ブリュレの好きな大きな理由の一つとしてあのダンスなんです。めっちゃ好き。ほんとに好き。

なのにあろうことかバンドにしちゃったんです。バンド嫌いなわたしが一番好きな曲をバンドにしちゃったもんなんだから心は大荒れでした。

はあ???って(笑)いや、ほんとに。

今見たらこんなブリュレもいいじゃん!って思うんですけど当時は怒り狂いました。もう烈火のごとく怒りました。何してくれてんの?エイトが踊らなくなるから不満は募っていくのにダンスナンバーつぶしちゃってんの?みたいな。

ここで本格的にもう降りてやるって思いました。もう記憶も薄れてきてるので細かい理由もあったとは思うんですけど、そう思ったのは覚えています。

 

それに加えてバリバリの同担拒否のガチ恋錦戸担だったわたしは、週刊誌常連だった彼の週刊誌ネタにも一々酷くやられていて。ちなみに恋愛ドラマも見れなくて未だに見ていないドラマとかあるんですけど。アイドルだし、わたしだけの錦戸くんのなのに誰かのものになっているようなそんな姿見たくないって思って。

降りていく方向で進みながらもまだ悩みでモヤモヤしてたちょうどその時に週刊誌に撮られた錦戸くん見て「よし、降りよう」ってなったんです。

 

でも生涯錦戸担だと思っていたし、視界に入れるのは錦戸亮のみという生活を送ってきたわたしに降り先という選択肢がなくて(笑)

とりあえず昔好きだったキスマイ見ようって思ってDVDを購入したんです。

そしたらバックについてたJr.がほんっとにかっこよくて!Snow Manってグループだったんですけど。ほら、ダンス厨なところあるから。ダンスもアクロバットも感動して。そこから彼らを中心にJr.調べるようになったわけです。

 

そしたらめっちゃ好みな顔ですっごく素敵なダンス踊る子がいて。あれは間違いなく一目惚れだった。もうその子しか頭に残らなくて。森田美勇人くんっていう男の子でした。

 

会いに行くかすごく迷っていたんですけど森田くんの現場があるのに行かないの?って友達に言われて。行くしかねえなってなったんですよね。

初めて森田くんの現場にお金出したのは入る当日。衝動的にポーンと決して安くはない金額を出した瞬間でした。

今思うと未来の自担候補とはいえ、降りるかも決めてないのによくあんな金額出せたなっていうか!すげえなお前!そう思う。

 

ここまで書いてまだ書きたい年月の半分くらいしかないことに驚いた。

やたら長いけどのんびり書いていきます。

読み返したら文章めちゃくちゃなのでその都度編集していきます。

 

続きます。

*1:この頃は1リットルの涙の頃が終わった後で、今でもわたしの中で錦戸くんが演じた中で麻生遥斗くんはトップ3に位置している。

*2:この日を持って山下さんと錦戸くんはNEWSを脱退することとなった。

*3:当時、コンサートの様子などからよくそう言われていた。が、錦戸くんは本当にどちらのグループを大事にしていたから決してそういう訳ではない。

*4:デビューした人は辞めないと思っていたからこそ田口やSMAPの3人が事務所を辞めたことはわたしに大ダメージを与え、これがきっかけでオタ卒へと進んでいく